エスペラントの現在(いま)
−国際青年大会に参加して−
木村護郎
(一橋大学)
『煌』(東京外国語大学)第20号,1996年,掲載
700 以上もあるといわれる計画言語案の中で、1887年に提案されたエスペラントは、「案」の段階を越えて、実際に使われる「言語」となるまでに至った珍しい例だといえよう。この夏(1996年)、7月29日から8月5日にかけてドイツ中部はザクセン・アンハルト州の山村ギュンタースベルゲの青年休暇センターで行われた「エスペラント国際青年大会」に参加して、この言語が実際に国際的なコミュニケーションに使われる様子をじっくり体験することができた。以下は、その報告、というか雑感である。
エスペラントということばは、何らかの民族などの言語ではなく、エスペラントを自主的に学んだ世界の様々な地域の人々によって国際交流などに使われるのであるから、文通・読書・ラジオ受信・無線・パソコン通信などの使い道の他、実際に会話に使うのは個人旅行か、エスペラントを使って行われるさまざまなイベント、ということになる。 アジアでは残念ながらそこまではいかないが、ヨーロッパであれば、年中さまざまな行事が行われているため、財布と時間が許す人は、一年中、エスペラント関係の催しをはしごすることも可能だ。(しかも、多くの行事は国際交流行事として国や欧州評議会などから援助がでているので、費用が安い。)そして、この各種行事の中で最大のものが、毎年異なった国で開催されるいわゆる「世界大会」 (今年はプラハ) と、その若者版「国際青年大会」である。
さて、この「青年大会」だが、一週間、何百人(今年は約400人)も世界中から集まって、一体何をやるのだろうか。プログラムを見ると、今年の大会のテーマである「共生の諸形態」に沿った講演・ゼミナールや今年の開催国ドイツの政治・文化事情についての講演や発表などの硬めのプログラムから、リトアニア語講座・漫画講座など位置づけ不明のもの、さらには"distra programo"(レクリエーシヨンとでも訳そうか) まで、うまく配分されている。近くの、ユネスコ世界文化遺産に指定され、中世風の町並を残すQuedlinburg 市への一日がかりでの遠足もある。要するに何でもありなのだが、大会全体にわたって共通しているのは、使用言語が全てエスペラント語であるということだ。(初心者にはエスペラントの講習会も用意されているが、いろいろな国の人が参加するため、これもエスペラントによる直接法で行われる。)
ことばの異なる人々が、中立で簡単に覚えられる言語(エスペラントが果してこの宣伝文句に適っているかということには後に少しふれたい。)によって自由にコミュニケーションがとれることをめざす、というエスペラントの原点がこの大会のよって立つ理念であり、エスペラントを話すということが、中学生から社会人まで、実に雑多な参加者の唯一の共通項である。
大会の初日には、州の労働・社会・健康大臣も参加してのシンポジウムがあったそうだが(こればかりはさすがに通訳付き)、私は遅れて着いたため、これには出席していない。ここでは、私が直接見聞したものを中心に、幾つか紹介してみたい。まず、見た感じ、一番真面目に大会テーマに取り組んでいたのは、ドイツの民族学者が主催した「異文化間関係」と題するセミナーで、ここに参加した人たちは、ほとんど大会の期間中ずっと、部屋にこもってシュミレーション・ゲームをしたり、討論したりしていたようだ。他にも幾つかの講演やゼミが平行し、討論や講演などは御免だというむきには、手工芸やダンスの講座なども用意されていた。
しかし、そもそも何かに参加しなければいけないということはないのであって、会場の野外カフェでくつろぐもよし、自転車を借りてのサイクリングもよし、実に自由な雰囲気がよかった。私も、せがまれて、いきなり日本語講座をやったくらいだから、きっと予定にはないプログラムもいろいろと自然発生したことだろう。
私が参加した分科会の中で特にインパクトがあったのは、エスペラントの辞書編纂に関する集まりだった。現在、エスペラントは1987年に出たエスエス辞典(エスペラントの「国語辞典」みたいなもの)が一つの規範になっているが、今度、その改訂版ができるということで、一般の話し手の意見を聞くための、いわば公聴会である。私が参加した日は、「俗語・卑語」がテーマになっていた。エスペラントにそんなものがあるのか、という驚くかもしれないが、百年以上も使われてきたことばであり、ないほうがおかしいだろう。実際、『エスペラント・タブー語辞典』なる本もある。その分科会では、実に「卑猥」なことばの一つ一つについて、真面目に議論しているのが結構笑えた。私は、あまりエスペラントの文献を読み込んでいるわけではないので積極的に発言できなかったが、議題になったことの中には、何を基準にして新造語を辞書に載せるのか、例えば、一人のエスペラント語作家がある語を何度も使っていればそれでいいのか、といったこともあった。エスペラントは、確かに出発点においては計画された言語であるが、一旦世に出て後は、通じるための基本としての"fundamento" (エスペラント語の音韻・文法の基礎の基礎が書かれたもの+基本語彙集+用例集から成る、いわばエスペラントの憲法) はあっても、新語や語用は、実際に使われる中で自由に発展しているので、どの単語・用法まで辞書に入れるか、ということについて、諸民族語と同じような問題を抱えるのだということを実感した。しばしば、安易にエスペラントを「人工語」として「自然語」に対置させる分類が行われるが、これは果して有効な区分なのか、疑ってみる必要があろう。
日中のプログラムが終わると、夕方は毎日、ロックやフォークのコンサートや劇などの大きめの催しが行われた。ある晩、コンサート会場で売られていたCDを眺めていたら、そばにいた三人組が、これは最高だ、とスゥエーデンのエスペラント・ロックバンドのCDを熱心に勧めるので買ってしまった。ところが、あとでジャケットの裏をみると、写真は、さっきの三人ではないか。半分騙された気分。
夕方のプログラムで特筆すべきは、外大エスペラント倶楽部有志が、大胆にも、プロ級のバンドや劇団に混じって、去年の外語祭の演目『星の王子さま』を改訂して上演したことだろう。本番前は、演じる側も観客も(!)かなり不安があったようだが、結果は成功であったといえよう。私はビデオ撮影をするため観客席側にいたのだが、さすがエスペラントの達人の集まり、細かいことばのあやをも理解して、敏感に反応してくれた。ノリのよさは、予想をはるかに上回っていた。
昼のプログラムでも夕方の出し物でも気づくのは、やはりヨーロッパ人の出し物が多いということだ。そもそもエスペラントは「中立」なる枕詞を冠しているものの、ヨーロッパ起源(誕生の地はワルシャワ)である。結局エスペラントもヨーロッパ語なのだろうか。このことをつっこまれると、とりあえずは、そのとおりですといわざるをえない。
だが、類型論的には、語幹に接辞が付加することから、日本語などのように膠着語だという説もあるぐらいだし、当初はヨーロッパ諸語をベースに作った語彙も、その後の発展の中で、十分エスペラント独自の意味内容・用法をもって、原語から独立してきている。たとえば、可否を問う疑問の副詞”cu”がポーランド語起源であるからといってポーランド語の”czy”の用法で使うと間違いになることもある。また”umeo”(日本語の「ウメ」から)のように、非ヨーロッパ語からの語彙も増えている。
大体、全ての民族言語から平等に距離をおいた計画言語なんてできるわけがないのであるから、エスペラントの出自について、ヨーロッパに偏っている云々いうのはあまり建設的ではないだろう。むしろ、現実の言語運用において、日本語的発想をもって使い、アジアのことばとしての内実を持たせていく方が大切だろう。その意味でも、外大のエスペラント倶楽部が自作の劇を上演したことは有意義なことだったのではないだろうか。
エスペラントの中立性の話が出たついでに、エスペラントのもう一つのセールスポイントである学習容易性についても触れておくことにする。エスペラントは、外大生と違って言語学習に多くの時間を割くことができない人々のためにできたのであるから、難しすぎては、存在意義がない。しかし実際は、修得には母語による差異がでる。まず、絶対にヨーロッパ人の方が習得しやすい。エスペラントの基本語彙はラテン語からとったものが多いので、特にロマンス語系の言語を話す人は、単語を覚えるのが得である。私が会ったあるルーマニア人の学生は、学習暦わずか3か月で、間違いだらけだが実にすらすらとしゃべっていた。日本人には、このような技はまず不可能である。
だが、その強力な造語力と、不規則・例外をほとんどなくしたスリムな文法によって、エスペラントは現存する言語で、日本人にとっても最も習得が容易な言語であることには変わりない。エスペラントは、時々宣伝でいわれるのと違って、「カンタン」ではないが、他のどの言語「よりもカンタン」である。これだけでも十分メリットだと思う。
閑話休題。夕べの催しの後は、ディスコで朝まで踊り狂うか、「フクロウ屋」という飲み屋に集うのが定番である。後者では文学作品の朗読会も行われた。私は初日、疲れていたので深夜一時過ぎに寝室にいったが、いつまでたっても同室の六人のうち、誰も寝にこないので少しく不安になったものだ。
最後の晩は"internacia vespero" (国際的な夕べ) と称して各国の人が出し物をしたが、印象的だったのはハンガリー人の「わが国の少数民族エスペラント人の歌と踊り」と題した出し物だった。これは他のグループの、民族舞踊などの出し物のパロディーで、「民族衣装をつけたエスペラント人たちの登場です」というと、Tシャツにジーパンの一団が躍り出てくるというたわいもないものだったが、後で思うと、意外にしんをついている面がある気がする。何かというと、「エスペラント文化」ということについてである。よく、「エスペラントは文化がない」ということがいわれるが、このことについて、少し考えてみたい。
まず、「文化」がなければコミュニケーションは挫折するか、ということである。この問いに対して、エスペラントはその百数年の歴史で、一つの答えを出しているのではないだろうか。つまり、話し手に「意志」があれば、言語表現はついてくる(小難しくいえば、ことばの機能上の条件に構造上の性質が適応する)、ということである。(このことはピジン・クレオールについてもいえるだろう。これらの言語で感情の機微は言い表せないと思うのは、根拠のない思い込み・偏見であり、さらには人間の創造性への信頼の欠如だと言いたい。)エスペラントは諸民族言語のように豊富な慣用句を持たない。そのかわり、合成による造語が他の言語に類をみないほど自由であり、言い回しも、話し手の工夫の余地が大きい。それを組みあわせれば、「意志のあるところに道はひらける」のである。これは私の経験でもある。もちろん、つくろうと思えば、全く「文法的」な、しかしとんでもなく無意味文などすぐできてしまう。(英語の有名なナンセンス文"Colorless green ideas sleep furiously."の比ではない。) ただ、そのような文をつくって相手に通じなかった場合、悪いのは言うまでもなくエスペラントではなく、その文をつくった本人である。
自分で自由に文を作る場合、誤解の心配がないとはいわない。だが、誤解は、普通に日本で日本人と日本語で話していてもあることだ。ましてや世界各地から来ているわけだから......。
しかし、「エスペラントと文化」というテーマについて、主な問題はもはや、エスペラントに文化がないということではない気がする。エスペラント語をメディアとするさまざまなテーマの国際会議や観光旅行などが毎週のようにおこなわれ、この言語で歌う人、書く人(ちなみにエスペラント語作家協会は数年前に国際ペンクラブに正式に加盟した)、泣く人、笑う人が存在するとなると、エスペラントも一つの「文化語」になっているとみるのが妥当であろう。
主に非母語話者によって担われるので他の言語文化との比較は難しいが、超域的なエスペラント文化の存在は、エスペラントという言語の一つの特徴になっているといえるだろう。さらに、ハンガリー人の出し物にあったような「エスペラント民族」 (そんなものができたらこわい)とまではいかないにしても、自分の出身地の文化とは別に、エスペラント語による文化をうみだし、享受する一つの二次的な「言語・文化共同体」ができているのではないだろうか。言語がアイデンティティに係わるものだとするならば、日本語が日本への帰属意識に結びつくように、エスペラントは、自分の母語・文化を大切にしながらも、「地球市民」という概念を単に抽象的な空虚な観念に終わらせないアイデンティティを身につけることができる、そんなことばになっている、という気がする。だが、この「エスペラント文化」の問題は、それ自体、また別個の大きなテーマなので、これ以上はここでは触れないことにする。
少なくとも確かなのは、よく言語文化論を生半可にかじった人がするように、「エスペラントには文化がないから平板な意志疎通しかできないのではないだろうか」と真剣に悩んでしまっているようでは、現実に笑われるということである。
既に1918年にフランスの言語学者アントワーヌ・メイエが言っていることを、今回、エスペラント語の講演を聞き、劇やコンサートを楽しみ、そして何よりもいろいろな人とたくさんbabilado (おしゃべり) をしたことによって確認することができた:
理論的な議論がどうであろうと、エスペラントは機能しているのだ。
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